『激突!』、『スプラッシュ』、『ターミネーター』、頑張ろ!
仕事の資料で観たい作品を探してたらこんな3本が揃ってしまいました。
製作中はまったく期待されてなかったけど、公開後は関係者の人生だけでなく、映画業界も大きく変えた新人監督達の出世作。
前作の『殺人魚フライング・キラー』がまったく思うように作れず、評価されていなかったキャメロンが低予算で作ったのが『ターミネーター』。基本的にはB級映画ですよね。
映画監督志望の若いスピルバーグが、実績を作るために続けていたTVディレクター業の中で手がけたのが、『激突!』。
日本などでは劇場公開されたけど、基本はTV映画だったのは皆さんよくご存じの通り。
人気俳優だったロン・ハワードが監督に転じて3作目の『スプラッシュ』は、ハリウッド・メジャーにことごとく断られた企画で、当時、倒産寸前だったディズニーに持ち込んで、低予算でやっと製作した映画。
今の若い人は信じられないでしょうけど、80年代初頭、ディズニーは倒産寸前と言われていたのに、本作とアニメ『リトル・マーメイド』のヒットで復活したのでした。両方とも「人魚映画」というのがなんだか運命的です。
この3本を見ると、あきらめずに自分が信じることに打ち込めば、ある日、運の女神が微笑む、と励まされます。
それに、社会の価値観も変わるので、今がダメだから未来もダメと決めつけるのはせっかちすぎるとも思います。
色々と大変なことも多いけど、頑張ろ!

75年目の終戦記念日。1932年製作、映画『忠魂肉弾三勇士』についての祖父の話を思い出す。
終戦記念日の今日、旧・大映の前前身の河合映画社に勤めていた祖父が生前よく話していた「爆弾三勇士」の映画のことをふと思い出した。
昭和初期、一攫千金を夢見て茨城の田舎から出てきた祖父は土木建築業で財をなした河合徳三郎氏の会社に入社。
河合組は、当時、隆盛を極めていた映画業界に進出して河合映画製作社を設立し、祖父はそこで仕事をすることになった。
1932年2月22日、第一次上海事変で敵陣の鉄条網を三名の工兵が自らの命を投げ捨てて爆弾で吹き飛ばして、突破口を開いたことで日本軍が前進できたということが「爆弾三勇士」、「肉弾三勇士」という文言で新聞、ラジオで大々的に報じられた。
映像メディアは映画しか無い時代なので、各映画会社がこぞって映画化に取り組んだ。その中でも「いち早く公開したのが、河合映画社だったんだ」と祖父は生前、自慢げに話をしていた。
それをふと思い出したので、「爆弾三勇士」で検索をしたらWikipediaに6本の映画が作られたことが記されていた。公開日順に並べてみる。
https://ja.wikipedia.org/…/%E7%88%86%E5%BC%BE%E4%B8%89%E5%8…
●3月3日公開
『肉弾三勇士』(新興キネマ)、
『忠魂肉弾三勇士』(河合映画)
『昭和の軍神 爆弾三勇士』(赤澤映画)。
●3月6日公開
『忠烈肉弾三勇士』(東活映画)
●3月10日公開
『誉れもたかし 爆弾三勇士』(日活)
●3月17日
『昭和軍神 肉弾三勇士』(福井映画)
事が起きてから10日足らずの公開で驚くが、どの映画も尺は20~30分程度だったらしいし、当時の主流は音の無いサイレント映画だったので仕上げ作業の時間も短くてすんだのだろうと思う。
「いち早く」と聞いて、私はてっきり一番最初に公開したのかと思っていたけど、これをみると新興キネマと赤澤映画が競合している。弱冠、話を盛っていたのだろうと50年近くたって気づいた。
河合映画社はその後、大都映画となり、大都映画が日活の製作部門と新興キネマと合併して戦時中に「大映」が誕生。祖父はその設立時のメンバーで重役の座に就いたが、戦後の「レッドパージ」で失職。しかし、永田雅一社長に何度も頭を下げて大映の元の地位に復帰したと聞いている。
子供の頃は祖父の話がうっとうしくてまともに耳を傾けなかったのが、今になって悔やまれる。
私がテレビで放映される戦時の記録フィルムなどを見ていると、「そんなものを見るのは止めようや」とテレビのチャンネルを変えてしまう人だった。
戦争の記憶が辛かったし、孫に見せたくなかったのだろう。
しかし、「爆弾三勇士」についてのこの新聞記事を読むと、祖父は軍国主義のまっただ中で、「自爆」を美化するイメージ戦略に加担していたわけだから、それもひどく切なくなる。
現在上映中の太田隆文監督『ドキュメンタリー 沖縄戦』を見ると、当時はお国のために死ぬことが尊ばれていたので、多くの国民がそこに疑問を持たなかったという証言を聞いた。国を挙げての、その洗脳やマインドコントロールが恐ろしい
75年目の終戦記念日に、戦争の無い平和が続くことを祈るばかり。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/609845/
『ドキュメンタリー 沖縄戦』、是非ご鑑賞を!
NHK-BSプレミアム『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』をご覧頂いた皆様、ありがとうございました。
8月8日(土)のNHK-BSプレミアム『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』をご覧頂いた皆様、ありがとうございました。
30年前、低予算で作ったオリジナルビデオ『ほんとにあった怖い話』がNHKの番組で紹介されて、皆さんと共にたけしさんや所さんらの目に触れる瞬間が来るとは1ミクロンも考えておりませんでした。
まあ、20年前、フジテレビのドラマに発展したときもビックリではありましたが……。
写真は1991~92年発売のシリーズ3作のVHSジャケットと、2000年初頭に発売された3作まとめてのDVDジャケットです。残念ながらVHSもDVDも現在は廃盤です。ただし、一部で配信されています。
なお、最後の写真は番組で紹介されていた実家の二階の廊下です。私が小学3年生の時に幽霊を見た場所です。今さっき撮りました。
男の幽霊を見た時は本当に怖かったですが、その体験からOV『ほん怖』を作り現在に至っていますから、今はその幽霊さんに深く感謝しております。
もしかしたら大人の男の座敷童子だったのかもしれません。
それにしても、日本テレビ、新倉イワオ先生の『あなたの知らない世界』が生まれたきっかけから始めるという非常にしっかりした作りで感動の番組でした。





ディスク『1917 命をかけた伝令』、しばらくは愛視聴版になりそう。
『1917 命をかけた伝令』をBDで堪能。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督『バードマン』も良くできた長回し映画だったけど、ワンカットで撮るために芝居に余計な間や、カメラが無駄な動きをする瞬間が散見されて、ディスクを買う気にならなかった。
上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』の37分間ワンカットはそういう芝居の余計な間やカメラの無駄な動きが後に笑いに繋がる周到な作りで見事だったけど、絵画的構図を最初から求めていなかった。
でも、『1917』はそういった余計な間や無駄な動きが全くないどころか、カットを割ってワンカット、ワンカットを丁寧に撮ったかのように映像が非常に絵画的で見入ってしまう。
本作でアカデミー賞を受賞した大ベテラン・カメラマン、ロジャー・ディーキンスがどうしても注目されてしまうが、長回しなのに一枚一枚の絵の構図がバッチリ決まっているのは、その構図を実現させるために作った美術の力でもあるし、そこにお金を掛けさせたプロデューサーの力でもあり、もっと言えば衣装もメイクも編集もCGも合成も音楽も、本作に関わるすべての人間の息が合ってないとできない技だし、それをまとめあげたサム・メンデス監督の力量の結果でもあり、本当にほれぼれとしてしまう。
自分も『POV~呪われたフィルム~』で長回しで撮ることに挑戦したけど、既に存在している建造物の中で撮ろうとすると、そこに合わせて脚本を書き直し、芝居を組み直し、撮影の仕方も変えていかないとならないから、監督としては色々とストレスがかかった。
でも、撮影予定の場所で脚本に沿って芝居をガッチリとリハーサルして、それに合わせて塹壕を掘り、農家の建物や廃墟と化した町をセットで組んだという作り方はまさに理想で素晴らしいの一言。
豊富な映像特典を含めてしばらくは愛視聴版になりそうです。




