寝言

三鷹オスカーの息子

sleep-img20060905-1東京三鷹市の三鷹駅南口にあった映画館「三鷹オスカー」。この名を聞いても、もはやご存知の方も少ないかも知れないが、かつては池袋の文芸坐などと並ぶ名画座だった。他の多くの名画座が週替わり二本立てなのに対して、三鷹オスカーは週替わり三本立てで、料金は一般1,000円、学生800円(閉館時)。しかも毎週、フェリーニ特集、小津安二郎特集、トム・クルーズ特集などとテーマを持った三本立てを組んでいたのが特徴だった。実は、この映画館を経営していたのが私の父である。だから、私はこの劇場が閉館するまでは実兄と共に「三鷹オスカーの息子」とよく呼ばれていた。

本当はこの劇場の経営に直接かかわっていたのは兄なので、私はその名にふさわしくないのだが、とにかく友だちは私をそう呼ぶことがあった。そして、三鷹オスカーは名画座として一定の評価を得ていたので、自分もそう呼ばれるのがちょっと嬉しかった。だが、1990年12月30日に三鷹オスカーは三鷹駅前の再開発に伴って閉館した。

▲ ありし日の「三鷹オスカー」の昼と夜。今はこの場所に「三鷹コラル」というショッピング・ビルが建っている。

▲ ありし日の「三鷹オスカー」の昼と夜。今はこの場所に「三鷹コラル」というショッピング・ビルが建っている。

あれから今年でもう16年になる。今は友だちでさえ私のことを「監督」と呼ぶが、「三鷹オスカーの息子」と呼ばれていた頃が時々懐かしくなる。ちなみに、1990年 12月30日は私の満30歳の誕生日でもあった。