寝言

『おろち』製作裏々日誌(3)

門前家ホールの奥。こんな所まで作り込んであったが映画には写らなかった。残念。

門前家ホールの奥。こんな所まで作り込んであったが映画には写らなかった。残念。

 ところで、撮影準備が進んでいく中で監督が脚本家の書いた本に手を入れることは映画の現場では多々あることだ。その事情は様々だが、『おろち』の場合は予算とスケジュールのために私が書き直すことになった。スケジュールにはめるためにシーンを減らして、その分、他のシーンの台詞や芝居を加筆するといった具合である。実はおろちが佳子にスイッチするテラスのシーンも高橋さんの脚本では原作通りに廊下を舞台にした室内シーンだった。おろちが床に落ちた自分の影を気にして歩くうちに佳子になっていく。しかし、これを屋外にしないとスケジュールがはまらない。そこで私が改稿をはじめたのだが、谷村美月という折角の逸材が演じるのに影を気にして歩いているだけではもったいない気がしてきたのである。そこで、ふと『アラビアのロレンス』の一場面が脳裏をよぎった。大事を成し遂げた主人公ロレンスが、アラブのハリト族から首長が着る服を与えられる。それを着たロレンスは喜んで砂漠を駆け回る。するとそれをハリト族と対立する族のリーダー、アウダが見ていた。それに気づいてロレンスは慌てて立ち止まる。そんなシーンだ。そのイメージを念頭に置いて改稿に取りかかった。つまり、喜びを身体全体で表すロレンスが佳子(おろち)に、それを奇妙な思いで見るアウダが大西弘になったわけである。

門前家テラス(鎌倉市・旧華頂宮邸)にて。

門前家テラス(鎌倉市・旧華頂宮邸)にて。

 大西がらみのシーンに関して記すと、理沙の部屋に入り込んだ大西がチョコを食べる芝居は、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『イヴの総て』でベティ・デイビスが自宅のリビングでお菓子を食べる些細な芝居が印象的だったので真似てみた。ただし、山本太郎さんにはそのことは何も伝えなかったし、助監督が用意してくれたチョコを芝居の中で食べて欲しいとも言わなかった。でも、芝居をはじめてみるとこちらの思惑通りに食べてくれたので嬉しかった。
 実は『おろち』を演出するにあたって『イヴの総て』は『何がジェーンに起ったか?』よりも、私には重要な作品だった。女優が主人公で、話が進むに従って人間のおぞましい本性が赤裸々になってくる。こんな怖ろしいドラマに一度挑戦してみたかったのだ。『イヴの総て』が好きなのは高橋洋さんも同じで、『リング0』の時もこの作品について散々話し合ったことがあった。

50年代の映画スタッフは背広を着て仕事をしていた。だから私もジャケットを羽織って撮影に挑んだが、初日一日だけでめげた。

50年代の映画スタッフは背広を着て仕事をしていた。だから私もジャケットを羽織って撮影に挑んだが、初日一日だけでめげた。

 さて、あまり長々とあの作品の何がヒントになっていると記すとオリジナリティがゼロの作品、もしくは実は原作の衣を借りただけの映画オタクの作品と思われてしまうかも知れない。しかし、ここに記したことは作品のごく一部のディティールで、優れた原作を映画化するにあたっての映画的なちょっとした味付けに過ぎない。逆に言えば、素晴らしい原作があるからこういう映画的な贅沢が出来るのである。
 以上、『おろち』を楽しんでくれた皆さんが、新たな角度で本作を再び楽しんでくれることを願って以上を記したことをお伝えして筆を置きたい。
 なお、一部のメディアで映画『おろち』の尺が147分と報じられているが、これは間違いで107分が正解。147分の別バージョンなどというものも存在しない。おそらく、1時間47分と記すところを誰かが単純に間違えたのではないかと思うが、真相は謎だ。