寝言

『スター・ウォーズ Ⅳ』日本語吹替版、「大島渚賞該当無し」の記事の黒沢清監督のコメント、そして小説『恐怖コレクター』で、ぼんやりと感じていたこと。

2月26日の『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』放映と、「大島渚賞該当無し」の記事の黒沢清監督のコメントを読んで、小説『恐怖コレクター』シリーズを手がけていて、ぼんやりと感じていたことを書き記したくなったので、勝手なことを記します。長文です。
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の地上波放映がきっかけで、今で言う『Ⅳ』が1978年に公開された数年後に、ルーク・スカイウォーカー(奥田瑛二)、ハン・ソロ(森本レオ)の日本語吹替版が劇場公開されたのを思い出しました。(しかも、配給は松竹富士。)
この吹替版に関しては、プロの声優さんをキャスティングしなかったことだけでなく、当時は劇場で吹替版が上映されることがほとんどなかったので違和感が先立ってしまい、自分を含めて否定的な意見が多かった記憶があります。
でも、ルーカスは『スター・ウォーズ』製作の動機として「今の映画界には子供たちが楽しめる映画がない。だから、これを作ろうと思った」と答えていたので、子供たちが楽しむことを考えると、「各国の言語による吹替え版」は念願だったのだろうと納得できました。
『スター・ウォーズ』登場前のアメリカ映画は、アメリカをバイクで横断して自由を体現しようとした若者たちが悲惨な結末を迎える『イージー・ライダー』や、管理された病院の中で自由を勝ち取ろうとした青年がやはり悲惨な最期を遂げる『カッコーの巣の上で』が予想以上のヒット。
日本映画界も厳しい現実や社会の暗部を冷徹に描いたATG作品が話題になり映画賞などで高く評価されていました。
要するに、洋の東西を問わず、バッドエンド、もしくは一概にハッピーとは言えない結末の作品が多かったわけです。
『スター・ウォーズⅣ、Ⅴ、Ⅵ』、『E.T.』大ヒット後の80年代中頃、「キネマ旬報」編集長だった黒井和男氏が、何かの講演で「ただでさえ現実は厳しいのに、映画館に行ったらそれよりも厳しい世界が描かれていて、暗澹たる気分で映画館をあとにするのが70年代だった。でも、ルーカスやスピルバーグらが出てきて変わった」というようなお話をされていて、難しい映画を喜ぶのが本物の映画ファンだと格好を付けていた若い自分は「なるほどな」と思ったものでした。
一方、同じ2月26日は、「『いろいろあったけど、よかったよかった』となる映画が多すぎる。」と大島渚賞の該当作品無しとした審査員の黒沢清監督の言葉が発表されていました。審査員長の坂本龍一氏を含め審査員の方々がどのような映画をご覧になったのかは知るよしもありません。それに、この一言だけを引用するのは黒沢監督に失礼かもしれません。しかし、ハリウッドのルーカス=スピルバーグ登場、そして日本ならばテレビ局製作映画が増えて以来、幸福な結末を迎える映画に我々はどっぷりと浸かりすぎたかもしれないとも思い黒沢監督のお言葉に「なるほどな」と思いました。
なんで、こんなことを延々と書いているのかと申しますと、実は児童小説『恐怖コレクター』シリーズを手がけていて、バッドエンドの方を子供たちが好んでいると感じるからなのです。
このシリーズの説明を少しすると、千野フシギという謎の少年が、各地で具現化してしまった都市伝説を回収して歩くという内容です。1巻に約6話掲載で、各話ごとの主人公が様々な都市伝説の恐怖に巻き込まれます。しかし、千野フシギは生き別れた双子の妹を探すという大きな目的があるので、それを優先して都市伝説に巻き込まれた主人公を見放してしまうことも多いのです。ですから、ハッピーエンドもあれば、バッドエンドもあります。そして、バッドエンドの方が子供たちに好まれている感触があります。
4月に16巻目発売、累計55万部を突破し自分でも驚いている『恐怖コレクター』シリーズですが、その読者の子供たちは、自分の置かれた日常や環境をシニカルに見つめている感じがします。
まあ、バブル崩壊、リーマンショック、そしてコロナ禍と、この30年近く、日本は坂道を転がり落ちている印象しかないですから、今の子供たちに明るい未来をイメージしろと言っても無理なのかも知れません。
子供たちには未来に明るい夢を持ってもらいたい。でも、厳しい現実と向き合った優れた映画や創作物も多数出てきて欲しい。
という単純なことしか言えませんが、これで最後にします。
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