寝言

【7日間、映画チャレンジ】、田中文雄プロデュース、山本迪夫監督『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』。

【7日間、映画チャレンジ】
●適当にゆる~くやりますので、毎日1本ではなく間が開く日もあるかと思います。
●「#stayhome のバトン疲れ」も報道されているので、お声がけはしないようにします。
●ただし、もしご興味がある方はご連絡をください。
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ホラー専門監督なのにホラー映画を紹介してないことに気付いたので、六日目は『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』。

『血を吸うシリーズ』は、1970年、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』、1971年、『呪いの館 血を吸う眼』、そして1974年、『血を吸う薔薇』の3作が作られた日本製怪奇映画の最高峰シリーズ。

後に作家に転じる東宝の田中文雄プロデューサーと、後に『太陽にほえろ!』を支えた山本迪夫監督との見事なコラボレーションが生み出した傑作ホラーで、2作目から登場した和製ドラキュラ、岸田森さんの怪演ぶりでつとに有名な作品です。

なのですが、私は岸田ドラキュラが活躍する『眼』と『薔薇』よりも、1作目の『血を吸う人形』を高く評価しています。

ところで、小学校3年の時に幽霊を見て、その後、『四谷怪談』や『牡丹灯籠』などの映画がテレビ放映されるたびに必ず観たのは、自分の見たものが本当に幽霊だったのかどうかを確認したかったからです。

そんな中、小学校6年の時に東京12チャンネル(現・テレビ東京)『木曜洋画劇場』で観たのが、ロバート・ワイズ監督『たたり』。幽霊は一切登場しないのですけど、作品そのものが幽霊のような映画でした。「3年生の時の恐怖感は、これだ!」と思い、なぜかホッとするような気持ちになったものでした。

しかしその後は、同様の恐怖を感じる映画やテレビドラマには出会えず、中岡俊哉編著『恐怖の心霊写真集』や巨匠つのだじろう先生の『亡霊学級』や『恐怖新聞』などの書籍やコミックに癒やされていたのです。

そして中学2、3年になったある土曜の午後、たまたま茶の間のテレビで観たのが『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』でした。
最初は、「どうせ、赤とか青の照明が当たって、お岩さんのようなメイクをした恐い存在が出てくるに違いない。それじゃ、自分の見た幽霊と違うから怖くないんだよ」と斜に構えて観ていたのです。

ところが、これは違う。

出てくる恐怖の対象は、白いネグリジェを着た髪の長い女で、おぞましいメイクなどはしていない。しかも、赤とか青の照明が当たることもないし、怖いシーンの表現に特撮的なことも一切やっていない。

それまで観てきた日本の怪談映画などとは恐怖表現がかなり違うのです。それに当時、最先端の技術で圧倒的な恐怖を作っていたハリウッド製の『エクソシスト』などとも違うのです。

その恐怖表現は自分が幽霊を見たときに近いものでゾッとしました。

私を含めたJホラー作家が「幽霊が怖い」として必ず言及する作品にジャック・クレイトン監督『回転』がありますが、山本迪夫監督はロバート・ワイズ監督『たたり』を含めてそのあたりの作品はしっかりご覧になって研究されていたと思います。

この『血を吸う人形』がヒットしたので、吸血鬼映画好きの田中文雄プロデューサーの意向が色濃く反映した『血を吸う眼』、『血を吸う薔薇』が作られて、岸田森さんの当たり役が誕生するわけです。特に『血を吸う薔薇』は映画としての完成度も高く評価が高い。
しかし、やはり私はこの1作目が大好きです。

ところで、私がはじめて手掛けたテレビ作品は1999年3月に放映されたオムニバス・ホラー、関西テレビ『学校の怪談 たたりスペシャル』の一編です。なんと、このオムニバスの中の一遍が田中文雄脚本、山本迪夫監督の『呪われた課外授業』という作品した。市川染五郎(現、十代目松本幸四郎)さんが吸血鬼を演じた『血を吸うシリーズ』の4作目のような作品だったのです。
打上げの席で山本迪夫監督にお会いできて、とても光栄でした。そして、おこがましくも上記の『血を吸う人形』を初めて観たときの衝撃をお伝えしたところ、大変に喜んでくださったのが良き思い出です。
ちなみに、私が担当した話は高橋洋脚本、岡本綾、鈴木砂羽、阿部サダヲ出演『たたり』という作品でした。ロバート・ワイズ監督に喧嘩を売ってますね(^_^;

山本迪夫監督は2004年8月に、田中文雄さんは2009年4月に鬼籍に入られました。
あらためてご冥福をお祈りし、日本映画に素晴らしいホラー・シリーズを残してくださったことを、この場であらためてお礼申し上げます。

では、また。
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