寝言

私の最も大切なファンの方を追悼させていただきます。

私の作品『案山子/KAKASHI』を観てホラーなのに号泣しましたとファンレターをくださったT氏という方がいます。確か2003年頃でした。『案山子/KAKASHI』が国内公開されたのは2001年でしたが、T氏は国外に住んでいらっしゃるのでその国でDVD化されてご覧になったのです。T氏は日本人で、私よりも年下ですがオジサンです。
『案山子/KAKASHI』は『リング0』に続く私の劇場公開作品で、まだまだJホラー・ブームがたけなわの頃でしたから『リング』タイプの怖いホラー映画が求められていました。それに、「Jホラーの父」と呼ばれるのに『リング』シリーズの3作目『リング0』を撮ったので、一般的には私が後陣のJホラー作家と思われていました。ですから、ビデオ『ほん怖』や、つのだじろう原作『亡霊学級』など、90年代にコツコツとオリジナルビデオでJホラーの前身になる心霊ホラーを作ってきた私にとっては、その一般的勘違いを覆す良い機会だったはずです。
しかし、私は悲哀に満ちたストーリーにしてしまいました。
Jホラーを支えてきた映画作家への恨み節になってしまうかも知れませんが、ビデオで私が開拓してきた恐怖演出が他の映画作家の手で巧みに劇場の大スクリーンに描かれてしまったので、それをどうやって凌駕すればいいのかまったく見当が付かなかったのです。考えれば考えるほどにプレッシャーになりわけがわからなくなったので、それまで生きてきた中で感じることをストーリーに込めて自分らしい作品にしようとしました。
しかし、当時の大衆や映画人はホラー映画にコテコテの恐怖を求めていたし、それに『案山子/KAKASHI』は製作中のトラブルもあって難点を抱えた作品として完成しました。結果、国内では冷たい感想ばかりが耳に入ってきました。ですから、ゆうばりファンタで「ファンタランド国王賞」を頂いたのが救いになったものの、かなり凹んでいました。
ところが、その数年後に国外から熱い素敵なファンレターが届いたので本当に励まされました。こういうファンがいる限りは自分を信じて頑張って作品を作っていこうと思いました。
その後、T氏からFacebookで友達申請をいただいて繋がり、それからは頻繁にやり取りをしました。お住まいの国の映画事情なども教えてくださり、私が新作を作れば必ず見てくれて、私自身が納得していない作品でも深いところまで考察して前向きな感想をくださりました。
そのやり取りの中には私に対して「映画の素晴らしさを教えてくれた監督です」とも記してくださった一文もあります。前後のやり取りからお世辞でもなんでもないことが分かりました。この一文が記されたメッセージが届いたあの時も泣きましたけど、今、それを読み返すと涙が止まりません。
昨日、そのT氏が亡くなりました。癌だったとのこと。まったく知りませんでした。
『案山子/KAKASHI』についてのファンレターを頂いてから15年近くが経ちましたが、お会いしたのはたったの一度だけ。ちょうど1年前の今頃、日本にお戻りになるという連絡を頂き、しかし、私は逆に中国映画の撮影で日本を離れないとならないという状況。でも、T氏がなんとか時間を合わせてくれて羽田まで見送りに来てくれることになり、小一時間お話をさせていただきました。私の中国での撮影を色々と心配をしてくださって様々なアドバイスをしてくれました。あの時はこれから幾らでも連絡が取れて、会うことも出来るだろうと気楽に考えていました。今はそれがかなわなくなったのが残念で残念で残念でなりません。T氏は私の最も大切なファンでしたし、心の支えでした。きっとT氏はこれからも私の作品を必ず観てくれるでしょう。なにがあっても褒めてくれるでしょう。そんなT氏に恥ずかしい思いをさせないように、これからも頑張って自分の作品を発表していこうと思います。今までありがとうございました。どうぞ安らかに。
私はT氏に喜んでいただくために、これからますます頑張らないと!