オフィス3○○『私の恋人』観劇後、のんさんに初のご挨拶。
本多劇場でオフィス3〇〇『私の恋人』観劇。
舞台空間を役者の芝居で時空も性別も物語も何もかも乗り越える手品のような超絶エンターテイメント!
はっきり言ってストーリーはよくわからん!
が、まったく飽きない100分!
終演後、のんさんに初めてご挨拶。
初の舞台出演なのに、歌って踊っての芸達者ぶりに驚きました。
つい「すずさん」と呼びかけてしまうのではないかと不安でしたが、お会いしてみたらやはり「のんさん」でしたね。
もの凄く魅力的な方です。
チケットは既に完売のようですが、詳しくは下記を。
http://office300.co.jp/watashino.html



『ほん怖』20周年スペシャル、10月12日(土)21時より放映!
情報解禁!
前身のビデオ映画版発売は1991年でしたが、気づいたらTV『ほん怖』も20周年。
今年のフジテレビ『ほん怖』、10月12日、21時より放映です。
『ほん怖』20周年SP放送決定 稲垣吾郎が感謝「皆さんのおかげです」(オリコン)

https://www.oricon.co.jp/news/2143517/photo/4/?anc=112&utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_content=%2Fhl%3Fa%3D20190901-00000337-oric-ent&utm_medium=referral
『ほん怖』公式サイトも更新されました。
今後のチェックをお願いします!
ほんとにあった怖い話 – フジテレビ
今年は5冊の小説を出させていただくことに感謝。でも、大変……。
先日、編集者さんから「本日、入稿しました。本当にお疲
本当にありがたいことですが、「入稿しました」なのに、「改訂稿アップをお願いします」ということでわけが分からな
優秀な作家、佐東みどりとの共著とは言え、年に5冊の小
週刊誌の連載を抱えている作家さんに心から敬服します。
この忙しさは2004年の1年間、フジテレビ『ほん怖』
ただし、映像ドラマの脚本執筆と違って自分の書いた文章
それに映像作品の場合は、脚本アップした後はスタッフル
ところが、小説家業になると寝床からパソコンの前に来て
ライフスタイルを変えないと……。
『怪狩り 巻ノ二』、年内発売です。我ながらかなりの力作だと思い
『恐怖コレクター 巻ノ十三』も、壮大な展開になっています。
お楽しみに!
写真は『恐コレ』と『怪狩り』のそれぞれの①巻目です。
https://tsubasabunko.jp/
洋泉社さんから『死の海』(後藤宏行・著)をいただいた。早く読まねば!
とてもとても興味深いルポルタージュなので、しっかり読
昭和30年7月、三重県津市の中河原海岸で36名の女子
生き残った生徒が「防空頭巾を被った何十人もの女に足を
当時の新聞や雑誌記事、それに裁判の記録も豊富に引用し
うーん、早く読みたい!
追記:私の監督、高橋洋脚本の『リング0』のファンの方
https://
鶴田法男が「Jホラーの父」と呼ばれている理由。
私がなぜ「Jホラーの父」と呼ばれているのかを自ら説明すると安っぽくなるから止めておけ、と所属事務所の人間に忠告されることがあります。
ですが、「『リング』の3作目の監督なのになぜ?」、「『リング』がヒットした後にTV『ほん怖』が始まったのになぜ?」と、素朴な疑問を投げかけられる事がたまにあるので簡単に説明をしておきます。
1991~92年にビデオ専用映画『ほんとにあった怖い話』シリーズを私が企画立案から手がけて監督をして発売しました。
その中に写真のような「黒い服の男」や「赤い服の女」という幽霊を登場させました。
自分が子供の時に見た幽霊を再現するつもりで撮ったのですけど、これがどうやら大変に画期的だったのです。
当時は、もう一つの写真のように「幽霊=お岩さん」が一般的でしたし、「ホラー=内臓や血が噴き出すスプラッタホラー」でした。
しかし、私のビデオ『ほん怖』シリーズは「恐い顔の幽霊」も、「内蔵や血しぶきが飛ぶシーン」も全く無いのに「とても怖い」と当時、全国に1万軒以上あったレンタルビデオ店で大変な人気を博しました。
「Jホラー」という言葉がまだ無かったので、「心霊写真テイスト・ホラー」とか「心霊ホラー」とか呼ばれていましたね。
その後、同様のホラーを作って欲しいとビデオ会社から連絡をもらい何本か心霊写真テイスト・ホラーを撮っていましたところ、1996年に『女優霊』という作品が公開されて評判になり、1998年に同じ監督、脚本家コンビの『リング』が大ヒットして社会現象になったわけです。
この2作を見た私は「あれれ? 自分がビデオ作品で細々とやってきた演出とそっくりだぞ!」とショックを受けたわけです。
しかし、脚本の高橋洋氏も中田秀夫監督も「鶴田作品に影響を受けた」と公言してくれたので、胸をなで下ろした次第でした。
しかも、『リング』の3作目を中田秀夫監督が撮らないので、私に任せるというありがたいお話も頂いたわけです。
その頃、1997年にサイコ・ホラー『CURE』を発表して世界に衝撃を与えた黒沢清監督も、ビデオ『ほん怖』が発売された初期の頃から事あるごとに賞賛してくださっていたので大変にありがたかったです。
それら諸々の評価から『リング』3作目以外のホラー映画の企画のオファーも頂きました。
しかし、私が取り組んできた「心霊写真テイスト・ホラー」ではなくて、「スプラッタ・ホラー」だったり、明らかに『リング』の二番煎じ的内容だったりしました。
黒沢監督、中田監督、高橋洋さんらがあれだけ褒めてくれているのに、自分は否定してきたスプラッタ・ホラーや、明らかに『リング』の二番煎じを作ったらダメだろう、と考えすぎるほどに考え込んでしまいましたね。もの凄いプレッシャーが襲ってきたりもしていましたね。
『ほん怖』をテレビ化するというのは、元々は『ほん怖』映画版を作りたかったからなのですが、一方で『リング』のような優れた心霊ホラーが出来てしまった中に戦いを挑むのは相当にしんどいという思いもありました。
ですから、映画ではなくてテレビという別の舞台で頑張ってみようと胸の内で計算していたところはあった気がします。
そして、フジテレビ『ほん怖』は1999年夏に稲垣吾郎さん、黒木瞳さん、池脇千鶴さんら豪華キャストの単発オムニバスドラマとして放映。そして、企画段階では『リング3』と呼ばれていた映画は『リング0 ~バースデイ~』のタイトルで2000年正月第二弾で東宝公開。
長くなりましたけど、そんな流れがあるので「Jホラーの父」と呼ばれています。
2009年、フジテレビ『ほん怖』10周年時の特設サイトに、ビデオ『ほん怖』とフジテレビ『ほん怖』企画時の詳細を記してあります。↓
http://www.howrah.co.jp/tsuruta/honkowa_kaisohroku/index.html



1991年7月発売
ビデオ『ほんとにあった怖い話』

1992年1月発売 ビデオ『ほんとにあった怖い話/第二夜』

1992年7月発売
ビデオ『新・ほんとにあった怖い話/幽幻界』

『ほん怖』DVD米国版ジャケット






