今回の経営陣の刷新をきっかけに『ほん怖』のみならず、フジテレビさんの社内風土が大きく変わることを切に願っております。
【この投稿を私、鶴田法男に断りなく記事等にすることは禁じます】
この記事の「成功体験にとらわれていた」という見出しを見て、私がフジテレビ『ほんとにあった怖い話』(以下、『ほん怖』)から身を引いたキッカケの一つを思い出しました。
1991年、私が原作コミックの映像化をゼロから企画してオリジナルビデオ版『ほん怖』を作り、それを元に、1999年に立ち上がったのがフジテレビ版『ほん怖』でした。
朝日新聞出版さんが発行する優れた原作コミック(現在の誌名『HONKOWA/ほん怖』)があってのことですが、先述の通りその映像化は私が企画して立ち上げたものでしたから、自分にとって本当に大切なライフワークだと思って取り組んでいました。
しかし、それでもフジテレビ版から身を引いたのは、当時のフジテレビの社員プロデューサーさんに「ワンパターンで良いんです。新しい事をやろうとしないでください」と常に言われていたのが一つの要因でした。
1999年にフジテレビ版が始まったときはテレビ番組の企画や恐怖表現として画期的だったので高い視聴率を取り、後にプライムタイムのレギュラーシリーズになりました。
しかし、その後、スペシャル番組になってからも10年以上も続くと、斬新だった企画内容も恐怖表現もマンネリ化しますから、部分的にトライ&エラーをするべきと私は主張したのですが、当時の社員プロデューサーさんは一切受け付けず、「ワンパターンで良いんです」と繰り返し言われ続けました。
しかし、作品作りや芸術表現においては、常に模索をしないと成長も発展もありません。
そう語って食い下がると、「うちの会社はそういう会社なんです」と答えが返ってきました。
大手企業の会社員としてはそれで良いのかもしれませんが、自分はフリーの出入り業者に過ぎませんから、このままズルズルとフジテレビ『ほん怖』を撮り続けてもオワコン監督になってしまう不安しか思い描けませんでした。
ですので、その数年前から取り組んでいた小説家業が評価され始めた感触があったのと、中国からのオファーも来ていたので、断腸の思いでしたが、2016年を最後に『ほん怖』から身を引くことにしたのでした。
それに、フジテレビ『ほん怖』の助監督を長年務めてくれた演出部や各スタッフは本当に優秀でしたので、ジジイは身を引いて新陳代謝をはかるべきとも思ったこともありました。
あれから9年が経ち、今はフジテレビ『ほん怖』の現場とのお付き合いもほとんどなくなったので、今年もあるのか分かりません。
ですが、今回の経営陣の刷新をきっかけに『ほん怖』のみならず、フジテレビさんの社内風土が大きく変わることを切に願っております。
https://news.yahoo.co.jp/articles/333f163b5c0253394af86e3d589c5a6b9196aa98
https://news.yahoo.co.jp/articles/333f163b5c0253394af86e3d589c5a6b9196aa98