寝言

1990年「東京ファンタ」、ピーター・ジャクソン監督との思い出。

自分のSNSに1990年の「東京ファンタスティック国際映画祭」で来日した、ドナルド・プレザンスさんとの2ショットを載せたら多数の「いいね」をもらいました。
実は、この時、もう一人、大変な人と仕事をしたのでそのことをお伝えします。
「東京ファンタ1990」では、『ミート・ザ・フィーブル/怒りのヒポポタマス』という人形スプラッタ・ミュージカル映画の上映とニュージーランドから来日した監督のサポートをしていました。
プレザンス氏の取材をした夜に、この風変わりな人形映画の監督と渋谷でしゃぶしゃぶを食べたので、こんな話をしました。
「今日、ドナルド・プレザンスさんの取材をしたよ」
「おお! 凄いな! 僕は彼の大ファンだよ」
「だったら、君の次の作品にプレゼンスさんに出演してもらいなさいよ」
「いや~、僕の映画じゃギャラが払えないよ。プレザンスさんはお金にうるさい人らしいからね」
「ああ、そういう人だよね。『THX-1138』に出演したのも、当時ジョージ・ルーカスなんて知らなかったけど、しっかりギャラを払ってくれるから出たと言ってた」
「あれは、ワーナーブラザース映画だからプレザンスさんのギャラが払えるんだよ。僕のはニュージーランドの低予算映画だからね」
なんてやり取りを、私と同い年のニュージーランドの監督としました。
そして、『ミート・ザ・フィーブル』の「東京ファンタ」上映は無事に終了して、その監督は、ビデオ権を買った玩具のタカラの本店ビルまでわざわざ挨拶に来て成田から帰りました。
その後、同作は東京や大阪で単館公開、そしてビデオ発売しましたが、やっぱり風変わりな映画なのであまりヒットしませんでした。
不発は想定していたので「失敗」とは思いませんでした。
むしろ、「失敗した!」と思ったのは、この監督が後に米国アカデミー賞を受賞するとは微塵も考えていなかったので、記念写真さえ撮らなかったことです。
『ロード・オブ・ザ・リング』でアカデミー賞を受賞するピーター・ジャクソン監督でした
https://movies.yahoo.co.jp/movie/22631/?fbclid=IwAR3rD3cw7jwvolxCJi_hvcGDKXClv-vSev-Q00iZX6bfsjwlmK6wVjXvHVI

1990年、「東京ファンタスティック映画祭」来日時のドナルド・プレゼンスと私。

1990年、「東京ファンタスティック映画祭」来日時のドナルド・プレゼンスと私。

ミート・ザ・フィーブル