寝言

【7日間、映画チャレンジ】、『地獄の黙示録』。

【7日間、映画チャレンジ】
バトンをマンガ家で、タレントブランディングアドバイザーである、神崎将臣さんからいただきました。
なお、先日、【7日間、ブックカバーチャレンジ】をやって楽しかったけど大変でもあったので、適当にゆる~くやりますので、毎日1本ではなく間が開く日もあるかと思います。
それと、「#stayhome のバトン疲れ」も報道されているので、お声がけはしないようにします。
もしご興味がある方はご連絡をください。
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さて、初日は、『地獄の黙示録』。

私の所有する同作BDーBOXと一緒に「世界の映画作家36 コッポラとその映画軍団」(1978年、キネマ旬報社・刊)と『遠すぎた橋』も撮影しました。

実は【7日間、ブックカバーチャレンジ】で本棚をあさっていたら42年前に発行された「世界の映画作家36 コッポラとその映画軍団」が出てきたのでした。
『地獄の黙示録』がカンヌ映画祭で『ブリキの太鼓』と共にパルム・ドール受賞し、米国で公開される1年前、日本公開の2年前の発行です。

この「世界の映画作家」には、コッポラの生い立ちから、処女作のポルノ映画『グラマー西部を荒らす』を経て、ロジャー・コーマンに出会って助監督から録音係までこなして、ホラー映画『ディメンシャ13』を撮りコーマン監督、ボリス・カーロフ、ジャック・ニコルソン共演『古城の亡霊』に参加して次第に映画界で作品を作る術を覚えていった過程を細かに記してあり、今読んでもワクワクドキドキの内容です。

「コッポラは、手っ取り早く商業映画を作るには人気原作の映画化権を抑えるのが一番だと気付いてYou’re a Big Boy Nowという小説の権利を抑えてワーナーブラザースに売り込んだ」というような記述があって、これを読んだときに高校生だった自分は「なるほど!」と思ったわけです。

その10年後くらいにコミック「ほんとにあった怖い話」の出版社、朝日ソノラマ(現・朝日新聞出版)に乗り込み映像化権を預かると、ジャパンホームビデオに「撮らせてください」と企画書を持って行ってプレゼンをしたのを思い出しました。
それがフジテレビの稲垣吾郎氏ホストのホラードラマに発展しました。

ちなみに、コッポラが監督した青春映画You’re a Big Boy Nowはいまだ日本ではビデオさえ出ていません。

さて、コーマン学校で鍛えられたコッポラはフレッド・アステア主演のミュージカル『フィニアンの虹』などを監督する運を掴みますが全く不発で終了。しかし、脚本家として『パットン大戦車軍団』で評価を得て、『ゴッドファーザー』を監督してこれが大ヒットして賞を総なめにし、以降は皆さんよくご存じのところでしょう。

で、やっと『地獄の黙示録』ですが、本書の最後にまだ公開はずっと先なのに、いかに混乱した製作現場だったかを伝える詳しい記述があります。

フィリピンに建てたセットが撮影前に嵐で壊れてしまったり、撮影に協力してくれるはずのフィリピン軍が撮影直前に本物の戦闘に出かけてしまい撮影できなかったりの御難続きだったことは、映画好きの皆さんはよくご存じと思います。

この『地獄の黙示録』の混沌とした製作過程をざっくりと知りたい方は映画評論家&監督の樋口尚文氏の批評がお薦めです。
https://news.yahoo.co.jp/…/higuchinaofumi/20160419-00056719/

そして、やっとやっと『遠すぎた橋』との関係です。コッポラは『ゴッドファーザー』の成功の後、ジョン・ミリアス脚本、ジョージ・ルーカス監督で動いていた『地獄の黙示録』の企画を譲り受けて、具体化させていったわけですが本書によれば1974年8月、松竹に「超極秘企画シナリオ」として当時、製作本部プロデューサーだった小林久三氏(後に小説家に転身、『皇帝のいない八月』など)のところに「APOCALYPSE NOW」が届けられたそうです。それを読んだ小林久三氏は「ベトナム戦争をこんな風に描いて良いんだ。これはイケる」と思ったそうな。

コッポラからの要求は5億円だったそうで、松竹として前向きに検討するつもりだったけど、その頃、東北新社から倍の予算10億円の第二次大戦映画「A BRIDGE TOO FAR」の企画が持ち込まれていたので、両方出資するのはシンドイので『地獄の黙示録』を松竹は蹴ったと書かれていました。

結局、翌1975年10月に日本ヘラルドが『地獄の黙示録』に出資。しかし、公開にこぎ着けたのは5年後の1980年でした。

松竹が出資を決めた「A BRIDGE TOO FAR」は1977年夏に超大作『遠すぎた橋』として公開。

ところで、松竹に『地獄の黙示録』が持ち込まれた時の企画書では下記の配役だったそうです。

カーツ大佐=マーロン・ブランド
ウィラード大尉=スティーブ・マックイーン
ニュース・カメラマン=ロバート・レッドフォード
キルゴア中佐=ジーン・ハックマン

ウイラード大尉はマックイーンの法外なギャラの要求にコッポラが怒り、その後、クリント・イーストウッド、ジェームズ・カーン、アル・パチーノに断られて、ハーヴェイ・カイテルに落ち着いて撮影を始めたけど、「ミス・キャスト!」とコッポラは一方的にカイテルを解雇してマーティン・シーンに落ち着いたわけです。

カーツ大佐=マーロン・ブランド
ウィラード大尉=マーティン・シーン
ニュース・カメラマン=デニス・ホッパー
キルゴア中佐=ロバート・デュバル

で、作品は完成するわけですが、当時、この中でスターと言えるのはブランドだけですから、最低5億円は出し、5年も待たされた日本ヘラルドは、このキャスティングを聞かされて冷や汗たらたらだったのではないかと思います。

では、また。
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「世界の映画作家36」より。 右頁『グラマー西部を荒らす』 左頁『フィニアンの虹』

「世界の映画作家36」より。
右頁『グラマー西部を荒らす』
左頁『フィニアンの虹』

「世界の映画作家36」より。 You're a Big Boy Now場面写真

「世界の映画作家36」より。
You’re a Big Boy Now場面写真