「映画秘宝」最新号で、受戒さんが『悪霊怪談』を紹介してくださって感謝!
「映画秘宝」最新号は、話題の『近畿地方のある場所について』の他、三留まゆみさんの70年代ホラーカルチャーの長文論説、4K版公開『呪怨』等など多角的にホラーを捉える見事な内容で永久保存版な1冊。
その中の「『呪怨』よりも怖い!? オリジナルビデオ作品ベスト5!」で受戒さんが1996年発売『悪霊怪談 呪われた美女たち』(別題『Giri Giri GIRLS in 超・恐怖体験』)の4話目を選出してくださっていて感謝。
ビデオは廃盤、配信も無しの作品なので、実は去年の横浜シネマノヴェチェントの「鶴田法男監督特集」で上映出来ないかと探ったものの、権利元と連絡が取れず断念。今や鑑賞完全不可能な幻の作品になってます。
この4話目は、1994年発売の自作OV『戦慄のムー体験』編集中に私が体験した恐怖体験から発想してプロットに起こしたのが全ての初まりでした。編集室で3日間徹夜していたので見た幻覚です。
今、ファイルを掘り返したらそのプロットが出てきたのでアップします。なにしろ鑑賞不可能な作品になってますからね。
これをブラッシュアップして完成させた作品の内容は少し変わりましたが、「ビデオに映っていた女の幽霊が抜け出してくる」という基本設定は最初のままです。
ちなみに、脚本家の高橋洋さんは本作を、「映画『リング』の参考にした」とおっしゃってくださっていて、大変に嬉しく思ってます。








『邪願霊』、『奇跡体験!アンビリバボー』の石井てるよし監督に敬服!
9月から放映が始まるNHK『ばけばけ』の話題がきっかけで、石井てるよし監督とやり取りをしていて、「本気で怖いテレビドラマは、作るのも難しいし、視聴者も受け入れない」と、昔は言われていたことを思い出しました。
劇場で観る映画と違って、テレビはにぎやかで明るい場所で観ることが多いですから、視聴者を怖がらせたり、驚かせたりするのは非常に難しいわけです。
でも、1999年、フジテレビの社員プロデューサーさんと「本気で怖いドラマを作れば、明るくてにぎやかな場所に居ても視聴者は集中してくれるだろうから、それに挑戦しよう」と意気投合して、『ほんとにあった怖い話』を始めることになったのです。
その時に私が一番参考にしたのは同局の『奇跡体験!アンビリバボー』の心霊現象再現ドラマでした。当時のテレビのホラー番組では一番怖かったですからね。
実は、それらの再現ドラマを演出していたのが、1988年にOV『邪願霊』を発表した石井てるよし監督でした。
「Jホラーの原点」と呼ばれる私のOV『ほん怖』の数年前に発表された心霊ホラー・モキュメンタリーです。
そして、石井監督が『奇跡体験!アンビリバボー』の再現ドラマも撮っていたと知ったのは、2012年の私のモキュメンタリーホラー『POV~呪われたフィルム~』公開時に親しくお話しをさせて頂いた時でした。
実は、石井監督は私の中国製ホラー『戦慄のリンク』の数年前に中国製ホラーをお撮りになってもいます。
常に一歩先を行かれる行動力と姿勢の石井監督には敬服するばかりです。
写真では1999年のフジテレビ『ほん怖』の記念すべき1作目の台本と、石井監督の『邪願霊』のDVDを並べてみました。
『邪願霊』は私の『亡霊学級』を独占配信しているU-NEXTで観られますので未見の方は是非!
それにしても、コンプライアンスという言葉がかまびすしい現在では、昔とは違う理由で本気で怖いドラマが作りにくくなっているのが残念です。
「邪願霊」をU-NEXTで視聴
7月9日発売『呪ワレタ少年⑤ 彼と旅する少女』の『コップの中』は、小泉八雲の『茶碗の中』のオマージュ!
7月9日、『呪ワレタ少年⑤ 彼と旅する少女』が発売です。
この巻の4話目『コップの中』は、小泉八雲の『奇談』の中の一篇『茶碗の中』のオマージュで書きました。
小林正樹監督『怪談』の一篇として映画化された影響なのか、八雲の『怪談』の一篇としても語られている作品です。
私が『茶碗の中』をはじめて読んだのは小学校5、6年の頃です。怪異の説明が無いどころか、話が途中で終わってしまう内容に、とてつもない恐怖と衝撃をおぼえました。
その記憶があったので、読者の心霊体験を漫画にする「ほんとにあった怖い話」(現・「HONKOWA」)に出会った時に、「これを映像化しよう!」と思う大きなキッカケになりました。
なにしろ『ほん怖』の原作は、実際の体験談なのでそのどれもが物語として成立していないのです。それだけに、自分が小学3年生の時に見た幽霊体験と同様でとてもリアルなのです。
でも、企画書を書き始めた時に、「物語の無い作品を作って意味があるのだろうか?」という疑問が生じたのも事実。
その時に、『茶碗の中』の序文を読み返したら「道を歩いていたら突然、断崖絶壁の縁に出てしまったような鮮烈な感覚とその記憶に文学的価値がある」的なことが書いてあったので、企画の推進に自信を得られたものでした。
つまり、「文学的価値」を「芸術的価値」に置き換えれば、製作する意味が大いにあるわけです。
その最大の結果が、OV版『ほん怖/第二夜』に収録されている『霊のうごめく家』だったのだと思います。
閑話休題。
『呪ワレタ少年』は児童小説なので、『コップの中』は話が途中で終わってしまうようなことはしてません。ですが、自分が子供の時に『茶碗の中』を読んで受けた1/100の恐怖と衝撃を届ける事が出来ればと願っています。
それが次世代の若き才能の芸術活動のキッカケになるかも知れません。
追記:ちなみに、9月からのNHK朝ドラ『ばけばけ』は、小泉八雲の妻セツをモデルにしたドラマです。なので、今年の後半は『怪談』が大いに話題になると思います。
『私が見た未来』、そして2025年の「シンJホラー・ブーム」。
『私が見た未来』は、仕事柄、数年前に一応買って読みました。とにかく日頃から防災意識を高く持ちましょう、ということ以上ではないと私は受け取ってます。
でも、考えてみたら、ノストラダムスの予言「1999年7月」の時は、『リング2』が1月に公開されて大ヒットし、8月には私のフジテレビ『ほん怖』の一作目が放映されて「Jホラー・ブーム」の最中でした。
そして、2025年7月現在、『きさらぎ駅:Re』『ドールハウス』『見える子ちゃん』が映画界で人気をはくしています。さらに『事故物件 ゾク恐い間取り』『近畿地方のある場所について』の公開が控えていて、アニメ『地獄先生ぬ〜べ〜』『ダンダダン』の放映が始まりました。そして私と佐東みどりの共著、小説『恐怖コレクター』も10周年を迎えました。
ホラーではないけど9月には『怪談』を編纂した小泉八雲の妻セツをモデルにしたNHK朝ドラ『ばけばけ』が始まります。
今や、「シンJホラー・ブーム」というような状況になってます。社会に不安な要素があるとホラーは流行るようです。ホラー監督、ホラー作家である自分としてはありがたいものの、複雑な気持ちにもなります。
ただし、ホラーは社会の不安を映し出す鏡になっていて、それを通じて私たちの心理や行動を見つめ直すキッカケを与えていると思っています。
そんなことを記しておきたくなりました。
【追悼】大映のスター女優、藤村志保様とご一緒できた至福の20分間。
藤村志保さんの訃報。
2001年の「ゆうばりファンタ」に参加した際、藤村さんが特別ゲストでいらしていて、ホテルから会場へのバス移動の間、幸運にも隣の席に座らせて頂いて20分ほどお話しができました。
憧れの藤村志保さんにお会いできて舞いあがった自分は、私の祖父が大映東京撮影所の所長だったとお会いした瞬間にお伝えしたので、藤村さんのマネージャーさんが気を利かせてくれて、隣に座らせてくださったのです。姑息だったとは思いますが、お許し頂きたいです。
藤村さんは祖父の事も覚えていてくださり、とにかく大映時代の事を懐かしくお話をしてくださって本当に至福の時でした。
そして、私は「藤村さん主演の『怪談雪女郎』が雪女映画の最高傑作だと思います。本当に美しかったし、素敵な内容でした」とお伝えすると、少し照れたように「ありがとうございます」とお礼を言ってくださいました。
以下、話はズレるのですが、翌年の2002年、フジテレビの竹中直人さん主演の『怪談百物語』というテレビシリーズの1話を私が演出することになったのです。その時、プロデューサーから、「怪談物で何かやりたいものはないですか?」と尋ねられたので、私は藤村さんにお会いしたこともあったので、「雪女をやりたいです」と答えて、『怪談雪女郎』をオマージュしたプロットを書いて提出したら運良く企画が通ったわけです。
その後、プロデューサーから「制作は映像京都です」と聞かされてビックリ。なにしろ、元・大映京都の西岡善信さん率いる制作会社ですからね。
私のプロットを元に脚本は高木登=三宅隆太という最強コンビに任せて、雪女は松雪泰子さんが演じることになり、撮影は大カメラマン、江原祥二さん、監督補で山下智彦監督が入ってくれるという本当に贅沢な布陣。『怪談雪女郎』と全く同じ特撮ショットをやりたいと言ったら映像京都の皆さんが嬉々として取り組んでくださったのも最高に嬉しかったです。なにしろ『怪談雪女郎』を作った本家ですからね。
そして、完成した『怪談百物語/雪女』(出演:松雪泰子、萩原聖人、甲本雅裕、竹中直人)は、自分の最高傑作のひとつだと思っています。映画じゃなかったのがつくづく残念ですが……。
放映日が決まった時に、藤村さんの事務所に失礼かと思いつつも手紙を送りました。きっと観てくださったと思っています。
その後、ご縁はありませんでしたが、深くお礼を申し上げます。
私が言うのはおこがましいですが、大映の人気スターとして活躍して頂いたことで、鶴田家は生活が出来たわけですのであらためて深く感謝いたします。
そして何よりも映画ファンを楽しませて頂いたことに、深く深くお礼を申し上げます。
心よりご冥福をお祈りします。