寝言

安易に人の仕事を批判したくないし、作品やクリエイターへのリスペクトは忘れたくないと思う。

今朝の『まんぷく』で「そんなもの止めとけ、売れやせん」とくさしていた会社社長が、主人公が苦労して売れそうな商品を開発したら「これは売れる! 俺が売ってやる!」と言ってくる笑える展開があった。

ところで私は、小学生の時に幽霊を見た恐怖が忘れられず、映画への興味と同じくらいに怪談話、心霊写真、ホラー映画などなどにも興味を持った。そして、大学卒業後は運良く80年代後半に隆盛を極めたレンタルビデオ産業のまっただ中で働くことができるようになった。

そんな折り、当時すっかり廃れていた怪談映画を現代的にアレンジして復活させたらきっと喜んでくれる人が多いと思った。自分の幽霊目撃体験を再現する演出をすれば複雑な合成もお金も掛けずに怖い作品を作ることができるとも思った。

そして、書店でコミック「ほんとにあった怖い話」(現「HONKOWA/ほん怖」)に出会ったのがきっかけでビデオ『ほん怖』シリーズを企画、演出して発表し、以後、『戦慄のムー体験』、『悪霊怪談 呪われた美女たち』、つのだじろう原作『亡霊学級』と’91~’96年にかけて年に1本の割合でホラービデオ映画を作り続けた。

ある日、当時、世話になっていた製作会社の社長に新作ホラービデオを持って行ったら「鶴田くん、子供向けのホラーばかり作るのは止めなよ。食えなくなるよ」と笑われた。

ところが、1998年に中田秀夫監督『リング』がヒットし、1999年に私のフジテレビ『ほん怖』が始まり、『リング0』を撮ることが広報されたら、その社長から「鶴田くん、ホラー物の企画をやろうよ!」と連絡が入ってきた。

その製作会社がしっかりしているなら、「しょうがねぇなぁ」と笑いながら引き受けたのだけど、違うのは分かっていたから断った。そうしたら数年後、その会社はビデオ市場向けに『ほん怖』の類似作を大量に作り始めた。困ったことに当時は無名だった優秀な監督やスタッフなどが関わっていたので、よく出来た作品も多数あって人気を博すことになった。

まあ、世の中、そんなものだなぁ、と思う。

そういえば、初期Jホラー作家の間で“××理論”という言葉が冗談で語られていたら、いつの間にかその言葉が力を持ちすぎてしまって、「鶴田の恐怖演出は“××理論”を基にしている」と言い出す映画評論家や映画ファンが出てきてしまって閉口することもあった。
“××理論”の本も出版されたけど、そこにも「冗談で言い出した言葉だ」と記されている。
鶴田やJホラーの起源『邪願霊』の石井てるよし監督が試行錯誤の上に映像に定着させた恐怖演出を、分かりやすく言語化したのが“××理論”であると私は考えている。
従って、「Jホラーは、初めに“××理論”ありき」ではない。

私も「ビデオ『ほん怖』がJホラーの原点」と言ってしまうのだが、1988年にオリジナルビデオ作品の先駆けでもあった石井てるよし監督『邪願霊』が発売されていなければ、ビデオ『ほん怖』を1991年に発売することはできなかった。
私自身、人の仕事を参考にさせてもらってきた。
安易に人の仕事を批判したくないし、影響を受けたり、参考にさせてもらったならば、その作品やクリエイターへのリスペクトは忘れたくないと思う。

つい、そんな事を思ってしまったので記しました。

コミック「HONKOWA」(朝日新聞出版)公式サイト ↓
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20702

ビデオ『ほんとにあった怖い話』1991年7月発売

ビデオ『ほんとにあった怖い話』1991年7月発売

ビデオ『ほんとにあった怖い話・第二夜』1992年1月発売

ビデオ『ほんとにあった怖い話・第二夜』1992年1月発売

ビデオ『新・ほんとにあった怖い話・幽幻界』1992年7月発売

ビデオ『新・ほんとにあった怖い話・幽幻界』1992年7月発売

雑誌「ムー」あなたのミステリー体験ドラマ化。1994年発売

雑誌「ムー」あなたのミステリー体験ドラマ化。1994年発売

1995年『Giri Giri Girls in 超・恐怖体験』のタイトルで発売。1996年『悪霊怪談 呪われた美女たち』に改題して再発。

1995年『Giri Giri Girls in 超・恐怖体験』のタイトルで発売。1996年『悪霊怪談 呪われた美女たち』に改題して再発。

つのだじろう原作作品。

つのだじろう原作作品。1996年夏発売。