回想録 鶴田が語る、ほん怖のあれこれ
Episode6 自分は監督をせずにプロデュースに回ることも考えていた。

 ビデオ『ほん怖』の企画は私が当時、契約社員として働いていたジャパンホームビデオ(以下、JHV)というビデオメーカーであっさりと通った。その頃、私は既にギャガを辞めてJHVを含めた数社のビデオメーカーと個人的な契約をしてビデオ事業のアドバイザーとして働いていた。80年代末のビデオソフト産業はまだまだ発展途上で私のような映画オタクを様々な会社が重宝に使ってくれたのだ。正直に言うと、このビデオ『ほん怖』は実績のある監督に任せて自分はプロデュースに回ることも考えていた。何しろ監督はリスキーな職業だというのを子供の頃から見聞きしていたからだ。しかし、監督を一度でいいからやってみたかった。その憧れを捨て去ることは出来なかった。それに自分が考えていた幽霊描写や恐怖演出を理解して作品を完成させてくれるプロの監督が思い浮かばなかった。とにかくこれを自分で監督するしかない、考えれば考えるほどその思いは深くなった。

(続)