回想録 鶴田が語る、ほん怖のあれこれ
Episode4 残酷描写など無くても怖いホラーは作れるはずだ。

 20年前の1989年当時、私はギャガ・コミュニケーションズという会社でビデオソフトの発売業務に従事していた。そのため、どんな作品がビデオ市場でヒットするかということばかりを考えていた。有名な役者が出ている、有名な監督が撮っているなどという要素の中に、ホラーというジャンルがあった。その当時、ホラーは劇場ではパッとしないのにビデオ市場では人気が高く、ジャンルそのものがヒット要素になっていたのである。だから私に限らずビデオ関係者はホラー映画にアンテナを張っていた。当時のホラー映画の主流は『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』などの特殊メイクを駆使したスプラッタ・ホラーだった。直截な残酷描写による肉食系ホラーである。その影響で日本でも『ギニー・ピッグ』というスプラッタ・ホラーがオリジナル・ビデオで作られて一部で高い人気を誇っていた。
 しかし、私はそういったスプラッタ・ホラーが日本でも作られる状況に不満を持っていた。なぜなら、 日本には“怪談”という優れたホラー文化があって、かつては『四谷怪談』や『牡丹灯籠』などが映画化されて人気を博していたのである。夜な夜な現れる女の幽霊の下駄がカランコロンと音を響かせる。それだけで充分に怖いのだ。
 それに私は小学校低学年の時に幽霊を見た記憶があり、そのゾッとする恐怖が忘れがたかった。この恐怖感を再現している映像作品がその当時既にあった。米国の60年代のテレビシリーズ『世にも不思議な物語』や映画『回転』、『たたり』などである。残念ながら当時の日本の怪談映画は様式美的になりすぎていてリアリティが欠けており自分の体験にはほど遠かった。だから、もしこれらの米国作品のリアルな演出を日本の風土の中に応用すれば自分の体験した恐怖を再現できると思った。残酷描写など無くても怖いホラーは作れるはずだ。そんなことを漠然と考えていた。そして、学校の友達と語り合った怪談話を映像化したらどうだろうと思い至ったのである。

(続)